強制不妊訴訟 不当判決にともに立ち向かうプロジェクト

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優生保護法とは何か?

このページでは、そもそも優生保護法とは何なのか。なぜそのような法律が制定され、1996年まで維持されてきたのかについてみていきます。

 

優生保護法とは?

優生保護法は、1948年、第二次世界大戦後の日本で作られ、1996年(20年ほど前)に母体保護法に変わるまで続いた法律です。

第一条には、「この法律は、優生上の見地から不良な子孫の出生を防止するとともに、母性の生命健康を保護することを目的とする」と書かれています。この条文には2つの目的が表象されており、「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する」ことと「母性の生命健康を保護すること」です。

前半の目的は、人間の命を生まれてくるべきものと生まれてくるべきでないものとに区別する優生思想に基づいています。この法律によって、障害や遺伝する病気をもつ人などに、子どもをつくることをできなくする手術(不妊手術)やおなかの胎児が生まれなくなる手術(妊娠中絶)を受けさせることが認められていたのです。

人間の命を生まれてくるべきものと生まれてくるべきでないものとに区別する優生思想に基づいています。この法律によって、障害や遺伝する病気をもつ人などに、子どもをつくることをできなくする手術(不妊手術)やおなかの胎児が生まれなくなる手術(妊娠中絶)を受けさせることが認められていたのです。

第二章では「優生手術」、第三章では「母性保護」として、手術の対象者が以下のように定められていました。それぞれ、第一号から第三号までが「優生上の」理由です。

 

第二章 優生手術

第三条【 医師の認定による優生手術 】

第一項 医師は、左の各号の一に該当する者に対して、本人の同意並びに配偶者(届出をしないが事実上婚姻関係と同様な事情にある者を含む。以下同じ。)があるときはその同意を得て、優生手術を行うことができる。但し、未成年者、精神病者又は精神薄弱者については、この限りでない。

 

第一号 本人若しくは配偶者が遺伝性精神病質、遺伝性身体疾患若しくは遺伝性奇形を有し、又は配偶者が精神病若しくは精神薄弱を有しているもの

 

第二号 本人又は配偶者の四親等以内の血族関係にある者が、遺伝性精神病、遺伝性精神薄弱、遺伝性精神病質、遺伝性身体疾患又は遺伝性畸形を有しているもの

 

第三号 本人又は配偶者が、癩疾患に罹り、且つ子孫にこれが伝染する虞れのあるもの

 

第四号 妊娠又は分娩が、母体の生命に危険を及ぼす虞れのあるもの

 

第五号 現に数人の子を有し、且つ、分娩ごとに、母体の健康度を著しく低下す る虞れのあるもの

 

第四条【審査を要件とする優生手術の申請】

医師は、診断の結果、別表に掲げる疾患に罹つていることを確認した場合において、その者に対し、その疾患の遺伝を防止するため優生手術を行うことが公益上必要であると認めるときは、都道府県優生保護審査会に優生手術を行うことの適否に関する審査を申請しなければならない。

 

第十二条【精神病者等に対する優生手術】

医師は、別表第一号又は第二号に掲げる遺伝性のもの以外の精神病又は精神薄弱に罹つている者について、精神保健法(昭和二十五年法律百二十三号)第二十条(後見人、配偶者、親権を行う者又は扶養義務者が保護義務者となる場合)又は同法第二十一条(市町村長が保護義務者となる場合)に規定する保護義務者の同意があつた場合には、都道府県優生保護審査会に優生手術を行うことの適否に関する審査を申請することができる。

 

十三条

第一項 都道府県優生保護審査会は、前条の規定による申請を受けたときは、本人  が同条に規定する精神病又は精神薄弱に罹つているかどうか及び優生手術を行うことが本人保護のために必要であるかどうかを審査の上、優生手術を行うことの適否を決定して、その結果を、申請者及び前条の同意者に通知する。

 

第二項 医師は、前項の規定により優生手術を行うことが適当である旨の決定があつたときは、優生手術を行うことができる。

 

第三章 母性保護

第十四条【 医師の認定による人工妊娠中絶 】

第一項 都道府県の区域を単位として設立された社団法人たる医師会の指定する医師(以下「指定医師」という。)は、次の各号の一に該当する者に対して、本人及び配偶者の同意を得て、人工妊娠中絶を行うことができる。

 

第一号 本人又は配偶者が精神病、精神薄弱、精神病質、遺伝性身体疾患又は遺伝性奇形を有しているもの

 

第二号 本人又は配偶者の四親等以内の血族関係にある者が遺伝性精神病、遺伝性精神薄弱、遺伝性精神病質、遺伝性身体疾患又は遺伝性奇形を有しているもの

 

第三号 本人又は配偶者が癩疾患に罹つているもの

 

第四号 妊娠の継続又は分娩が身体的又は経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのあるもの

 

第五号 暴行若しくは脅迫によつて又は抵抗若しくは拒絶することができない間に姦淫されて妊娠したもの

 

優生保護法の背景-なぜこのような法律がつくられたのか

「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する」という優生保護法の目的は、「優生思想」に基づいています。優生思想は、人間の命を生まれてくるべきものと生まれてくるべきでないものとに区別する差別思想です。障害の有無に限らず、人の存在を、働くことができるかどうか、どんな性的指向をもつかなど、何らかの基準に基づいて「優れている」ものと「劣っている」ものに分けることに通じる考え方であると言えます。

優生思想の起源は、イギリスの遺伝学者、フランシス・ゴルドンが定義した「優生学」です。「優生学」は、「劣悪者」の人口に占める割合が増加すると人口の質が低下し、「民族の変質」を招く「逆淘汰」を引き起こすという考えに基づき、「劣悪者」を淘汰することで人口を改良することを目的とする学問でした。国を強くするためには強い人や優れた人だけが重要で、障害や遺伝する病気のある人などはいないほうがよいと考えるのです。

優生学は19世紀の終わりから20世紀はじめにかけて、アメリカやヨーロッパなどで広がり、アメリカ、スウェーデン、ドイツでは日本よりも早くに断種法が制定されました。

 

 ・アメリカ 1907年~1960年代

1907年に、世界初の断種(子どもができなくなる手術)のための法律が、アメリカのインディアナ州で制定された。1923年までには、32州に広がっていた。

 

スウェーデン 1934年~1975年

スウェーデン不妊法(断種法と同じ意味)が制定され、1941年に改正されて、1975年まで続く。正式名称は、「特定の精神病患者、知的障害者、その他の精神的無能力者の不妊化に関する法律」。

 

・ドイツ 1933年~2007年

ナチスヒトラー政権のもと「遺伝性疾患子孫予防法(断種法)」が制定された。レジュメ4-1ドイツの敗戦とともに効力を失った。

 

日本でも、第二次世界大戦中の1940年に「国民優生法」が制定され、「国民素質の向上を期する」ため、遺伝する病気をもつ人に対する不妊手術を行うと定められました。しかし当時は戦争をするのに人手が必要で「産めよ増やせよ」の時代だったため、実際に行われた手術は538件にとどまり、同意のない手術は0件であったとされています。

ところが、1945年に第2次世界大戦が終わると、人口が急増して食料が不足しました。そこで、国は、今度は生まれる子どもの数を抑制し人口を減らそうとしました。戦時中に厳しく取り締まっていた避妊の普及や中絶(いわゆる産児調整)を個人の自由として容認しました。しかし、産児調整の普及は「逆淘汰*」をもたらすとされ、それを許すからには優生政策を強化するしかないという流れで優生保護法は制定され、手術が推進されました。

1951年には遺伝性以外の精神病等も追加されるなど優生規定が強化されました。つまるところ、優生保護法は、国の力としての人口の数をコントロールし、また人口の資質を高めようとして、人々が子どもをつくることを国が管理する「人口政策」を担うものでした。

*逆淘汰とは「「優秀者」の比率が減少すると人口の質が低下して「民族の変質」を招く」という現象のことです(松原2000)。

生活にゆとりのある「優良健全」な階層における子供の産み控え、「劣悪者」の高出生率と医療・福祉の発達による死亡率低下、戦争によって壮健な青年の多くが命を落とす結果「優良健全」な者の子孫が減ることが、その原因と見なされました。

人間を「優良健全」な者と「劣悪者」に分ける極めて差別的な概念です。

 

〇国の主導、地方の協働、民間の共同で推進された優生手術

 優生手術は国の主導、地方の協働、民間の共同で全国で行われて行きます。1957年には旧厚生省が「各都道府県衛生主管部(局)長」宛ての文書で、手術件数の少ない県を暗に批判した上で、手術実施に伴う費用が国の予算を下回っていることを理由に、各都道府県に件数を増やすように求めていました。この通知を受け、宮城県等の10県以上の都道府県は、年間の手術目標を示すなどして、1957~58年にかけて手術件数を増加させています。

 また、旧厚生省は1972年には公衆衛生局長名の都道府県知事宛て「通知」で、本人の同意がない事案で、都道府県優生保護審査会による手術容認の決定が確定した場合に、「本人が拒否しても手術を強行できる」、「不良な子孫の出生防止」という公益上の目的があるため「憲法の精神に背くものではない」との解釈、見解を示し、優生手術の合憲性を広めていました。

 さらに、手術の具体的な方法についても国は通知を出しています。1953年の厚生事務次官通知では「真にやむを得ない限度において身体拘束、麻酔薬施行または欺罔等の手段をもちいることは許される場合もある」としました。また、禁止されていた「不妊のためのレントゲン照射」について、旧厚生省は学術研究目的なら「差し支えない」と、京都大学医学部からの問い合わせについて回答しています。

 これらの通知が見えてくるのは、通知などを通して国が優生手術を推進していたことです。しかし、見逃せないのは地方の協働です。北海道では、道内の医師に対して、優生手術の申請は「医師の義務」として申請を促す指針を配布していました。障害者施設と共同し、優生手術を障害者に優生手術を強制している事例も存在していました。また私たちが住む宮城県でも地方の協働は見られました。

 

宮城県の地域ぐるみの推進体制「愛の十万人運動」

 宮城県では優生思想の普及を掲げた「愛の十万人運動」が行われました。教職員組合、PTA、地域婦人会、社会福祉協議会、公民館、医師会、肢体不自由児協会などの多くの民間団体が参加しており、文字通り地域ぐるみで進められました。

 この運動の始まりは知的障害児施設と養護学校の整備を目指した運動でしたが、次第に優生政策にからみとられていきます。その背景には、知的障害児やその家族が不幸な存在であると一面的に把握していたことがあります。

 当時の知的障害児の親たちは「軽いものには社会自立、重いものには温かい保護、親なき後の保障」を求めていました。しかし「県民運動」は「受胎調整や家族計画の思想が普及して、県の人口はだんだん増加の速度を落としております。それなのに精薄の家庭は全然減っていません。悪貨が良貨を駆逐しておるのです。このまま過ぎていったら宮城県民の質はだんだん低下していくでしょう」、優生手術について「宮城県百年の大計として民族の再建を考えるなら、どうしてもやらなければならない仕事です」と当運動の趣意書に記載しています。

 「障害者はかわいそうだから、今生きている障害者の福祉は求めるが、障害者が増えると県民の質が下がってしまうから、優生手術は推進する」という、差別意識に満ちた運動でした。先に北海道の事例も見ましたが、このような障害者に対する優生政策は特定の地域的に行われた特殊なものではなく、国の政策にリンクしたものであったと言えます。

 

〇経済成長、福祉拡充の裏で進められた優生手術

 終戦直後には経済と産業が壊滅状態で」あった日本は、1950年代半ばから高度経済成長期に突入し、1964年には「先進国クラブと呼ばれるOECD加盟を果たしました。その背景には優生政策が存在していました。

 1960年に池田内閣は「所得倍増計画」にて経済成長の推進力として人的能力の開発と人口資質向上を重視することを決定し、1962年には「国民の遺伝素質の向上」を唱えた厚生省人口問題審議会「人口資質向上対策に関する決議」が作られました。この決議の中では「人口構成において、欠陥者の比率を減らし、優秀者の比率を増すように配慮することは、国民の総合的能力向上のための基本的要請である」とし、優生政策の必要性が公然と語られました。

 また高度成長期は、福祉の不足に目が当てられ始めた時代でもありました。1956年の「厚生白書」では経済的復興から取り残された人々の存在を立証し、経済偏向から社会福祉の充実を忘却してはならないと説かれました。

 この流れの中で障害者福祉の拡充も進みましたが、「障害者は財政を圧迫するから、福祉コスト削減のために障害児の発生を防止すべきだ」という声も同時に上がりました。1968年の母子保健対策懇話会の意見書では「不幸な児子をもつ家庭の悲劇と、経済的負担の解消」「年々支出されている巨額な国費、地方公共団体の財政負担は大いに軽減するのみならず、生産人口もより多く確保されるなど、そのもたらす成果は非常に大なるものがある」とし、福祉コストの削減を優生手術によって達成しようとしていました。

 

〇被害の実態

 優生保護法のもとで手術を受けた被害者の方々は、国から「劣っている」「弱い」と決めつけられ、心と体を傷つけられました。子どもをもつかもたないかを自分で決める権利(リプロダクティブ・ヘルス/ライツ)(性と生殖に関する健康/権利)を奪われました。この権利は、日本国憲法第13条で保障されている幸福を追求する権利としての自己決定権です。個人の基本的人権を奪うという行為を、国が推進していたのです。

 また、この国による行為は、以下のように定める障害者権利条約の第17条にも反しています。

 

障害者の権利に関する条約

第十七条 個人をそのままの状態で保護すること

 全ての障害者は、他の者との平等を基礎として、その心身がそのままの状態で尊重される権利を有する。

 

このようなことが認められること自体が問題であるうえに、手術への同意を強いられて手術を受けた、同意のないままにむりやり手術されたという人もたくさんいます。本人が同意した場合でも、病院や施設の職員、家族や親せきなどから言われて、何もわからないままに手術をされた人もいます。また、同意というものがあったとしても優生思想のはびこる社会に強いられた同意だったのではないかという意味で、優生保護法の下で行われた手術は「強制不妊手術」と呼ばれています。また、月経中の介護の負担を減らすために障害をもった女性に対して子宮を取り除くという手術や放射線の照射という、法律に規定のない施術も行われていました。ハンセン病や貧困も手術の理由とされたことも見逃せない点です。

被害者の数は以下のとおりですが、実際にはもっと多いのではないかといわれています。

 都道府県別の件数では、北海道2593人、宮城県1406人、岡山県845人の順で多くなっています。被害者の約7割は女性です。

強制不妊手術:本人の同意なし 16,475人

強制不妊手術:本人の同意あり 8,518人

妊娠中絶:58,972人

合計:83,965人

(2018年5月24日厚労省提出資料)

 

〇被害者の声

・2018年12月12日、大阪での裁判で原告の女性は「手術はいたかった。今も傷が残っている。お父さん(ご主人)からあとつぎがほしいと言われ、産みたかったが産めなかった。もとのからだにもどしてほしい」とうったえました。

・飯塚淳子さん(仮名)「私は何も知らされないまま、子どもを産めないようにする「優生手術」を無理やり受けさせられました。役所や民生委員や職親が手術を受けるように仕向けて行ったのです。父親は「ちょっと待ってくれ」と言ったそうですが、「今すぐに手術を受けなければだめだ」と強引に言われて、それで仕方なく、手術に同意する書類にハンコを推させられたんだそうです。そんなこと、絶対に許すことができないー今の私はそんな気持ちでいっぱいです。」「どうして私が強制的に「優生手術」を受けさせられたのか、それが知りたくて、ここ何年か、私は何度も役所に足を運んで、当時の書類や記録を見せてくれと言ってきました。しかし、私が手術を受けることになった「審査会」の記録は昭和三十三年と三十六年の分しかなくて、私が受けたころの記録はない、と言われて、見せてもらっていません。それ以外の私が見ることができた書類や記録は、黒く塗りつぶされたところばかりで、ところどころ読めるところには、私には嘘としか思えないことばかり書いてある。私の言い分をちゃんと聞いてほしいと思います。そして、書類や記録をちゃんと書き直してほしいと思います。そして、私の身体をもとに返してほしい。できることなら、十代の頃の身体にもどりたい。本当にそう思います。(優生手術に対する謝罪を求める会2018)

 

優生保護法廃止までの経緯ーなぜ48年間も続いたのか

 優生保護法のもとで、優生思想は日本の社会に深く入りこみ、障害は不幸なものだという考え方が広がっていました。その中で被害者が声を上げることはとても難しいことでした。優生保護法は1996年に母体保護法に改正されますが、それまでには色々な団体の運動がありました。その中で「優生」はタブー化していきます。

 1972年に優生保護法の改悪案が国会で話し合われました。具体的には中絶対象から「経済的理由」を削除することと、胎児が重度の精神的または身体の障害の原因となる疾病、欠損を有しているおそれがある場合に中絶が認められるとする胎児条項の導入することです。

 胎児条項に対しては、脳性マヒの障害者団体である「青い芝の会」のメンバーが猛反対の運動を展開しました。当時「青い芝の会」はさまざまな形で優生思想に反対する運動を展開していました。例えば、1970年5月に横浜市で起きた重度障害児殺害事件で、世間が殺した側に同情的であることに対し、「障害者は殺されて当然なのか」、「親をそこまで追い詰めたのは、障害児を白眼視する地域社会ではなかったか」と反対運動を展開しました。

 「青い芝の会」はその批判の矛先を、産む・産まないの自由を唱えて中絶の既得権を守ろうとする女性解放運動にも向けました。中絶の自由をめぐり、彼らは激しく論争し、ウーマンリブの活動家たちの多くは優生思想批判を共有し、優生保護法改正案から胎児条項を削除させるために障害者との共闘をしていきます。

 このような運動の結果、社会には「優生」の考え方に対する批判意識が生み出されました。国連からの非難も受け、1996年にやっと優生保護法は廃止されました。

 しかし、優生手術の被害者への保障や、手術の実態調査などは行われてきませんでした。優生保護法改正後の運動については「5.28判決について」のページをご参照ください。

 

【参考文献】

米本昌平等『優生学と人間社会』(講談社現代新書、2000年) 

優生手術に対する謝罪を求める会『優生保護法が犯した罪: 子どもをもつことを奪われた人々の証言』 (現代書館、2003年)

利光惠子、松原洋子(監修)『戦後日本における 女性障害者への強制的な不妊手術』(立命館大学生存学研究センター、2016年)

毎日新聞取材班『強制不妊 旧優生保護法を問う』(毎日新聞出版、2019年)

清水貞夫『障害者の「安楽殺」と優生思想』(クリエイツかもがわ、2018年)