強制不妊訴訟 不当判決にともに立ち向かうプロジェクト

 Twitter:@confrontproject E-mail:confront.project.tohoku@gmail.com

署名を継続します!!(第二次締め切りは2020年6月30日)

私たち、強制不妊訴訟不当判決にともに立ち向かうプロジェクトは、優生手術被害者とともに歩むみやぎの会と共同で、優生保護法に関する署名を開始いたします!(第2次締め切りは6月30日とし、継続します)

 

1 趣旨

 2018 年 1 月 30 日、旧優生保護法下での強制不妊手術を受けた被害者の方が、国に謝罪と補償を求めて裁判を起こしました。2019 年 5 月 28 日に仙台地方裁判所にて下された判決では、 旧優生保護法違憲と認められたにもかかわらず、原告の請求は全て棄却されました。原告はこれに控訴中です。この判決に先立ち2019年4月24日に成立した「旧優生保護法に基づく優生手術等を受けた者に対する一時金の支給等に関する法律」は、旧優生保護法違憲であることを前提としないものであり、内容は被害回復には著しく不十分な内容でした。

司法と国会が強制不妊手術の被害に向き合わない状況に対し、原告の裁判をそばで見守ってきた私たちは、①仙台高等裁判所が被害者の声に耳を傾けて公正な判決を下すこと、②国が被害者に誠意ある謝罪と十分な補償をすることを求める署名に取り組むことにいたしました。

 多くの署名を集めるため、何卒ご協力のほどよろしくお願い致します。署名の内容や書き方等につきましては、署名用紙をご覧ください。

・仙台高裁宛て(PDFテキスト版

・国宛て(PDFテキスト版

・署名ご協力のお願い文書(PDF テキスト版

 

2 第一次締め切りまでの集計結果

 仙台高裁宛ての署名の第一次締め切りは1月31日までとさせていただいておりました。1月31日までで、仙台高裁宛てが6433筆、国宛てが6174筆集まりました!

 全国の方から毎週のように署名が届いていました。ご協力をしてくれた皆さま、誠にありがとうございました。署名は今後も継続しますので、これからもよろしくお願いいたします。

 

3 署名用紙の取り扱い等について

(1)署名用紙について

 署名用紙につきましては、誠に恐縮ですが、別添えの署名用紙を印刷のうえ、ご署名ください。①仙台高裁宛、②国宛の2種類があります。2種類両方にご署名くださいますようお願いします。

 

(2)集約締め切り日について

①の仙台高裁宛署名 第2次集約 2020年6月30日(必着)

②の国宛の請願署名 第2次集約 2020年6月30日(必着)

 

(3)署名の送付先

 署名の送付は以下の送付先にお願いいたします。なお、署名用紙の返送にかかる送料は、カンパとして各自・各団体でご負担くだされば幸いです。

[送付先]

〒980-0811 宮城県仙台市青葉区一番町四丁目1-3 

強制不妊訴訟不当判決にともに立ち向かうプロジェクト レターケース79番

 

(4)問い合わせ先

問い合わせ等は下記の連絡先にお願いいたします。数日中にご返信いたします。

[連絡先]confront.project.tohoku@gmail.com

なお、オンライン署名(仙台高裁宛て国宛て)を同時に行っておりますので、そちらの方の拡散もしていただけると幸いです。(オンライン署名と紙の署名の重複はご遠慮ください。)

 

 

<呼びかけ団体>

強制不妊訴訟不当判決をともに立ち向かうプロジェクト

優生手術被害者とともに歩むみやぎの会

 

<協力団体・賛同団体・賛同人>

DPI女性障害者ネットワーク

DPI日本会議

みやぎアピール大行動実行委員会

優生手術に対する謝罪を求める会

板倉有紀(秋田大学高齢者医療先端研究センター特任講師)

片岡龍(東北大学大学院文学研究科教授)

小松丈晃(東北大学大学院文学研究科教授)

徳川直人(東北大学大学院情報科学研究科教授)

直江清隆(東北大学大学院文学研究科教授)

藤野豊(敬和学園大学人文学部教授)

横関理恵(東北大学高度教養教育・学生支援機構特任助教

柳原敏明(東北大学大学院文学研究科教授)

山本勝美(優生手術に対する謝罪を求める会、片方さん支援会議)

旧優生保護法の被害者に補償をする法律(「一時金支給法」)について

このページでは、2019年4月24日に制定された、強制不妊手術の被害者に対して補償を行うとする、旧優生保護法の被害者に補償をする法律(いわゆる「一時金支給法」)についてみていきます。

 

〇「一時金支給法」の問題点について

2018年に被害者の1人が国を相手に裁判で闘うことを決意したことがきっかけで、全国20人の被害者がともに闘うと声を上げました(2019年10月時点)。裁判が全国で始まったことを受け、2019年4月24日に初めて、旧優生保護法の被害者に補償をする法律(いわゆる「一時金支給法」)が国会で成立しました。しかし、この一時金支給法は被害を十分に補償するものとはいえません。問題点として次のようなことが挙げられます。

 

・法律の中で謝罪をしている主体が「国」ではなく「我々」であり、責任が曖昧なこと

→優生手術をすすめてきたのは政府や国会であり、法改正後に被害の保障や実態調査を行ってこなかったのも政府や国会です。「「我々」は主に政府および国会」と説明されていますが、そうであれば法律に明確に書くすべきです。

 

・被害者が請求をしなければ一時金が支給されないこと

→被害者の中には、障害があり、自分で申請をすることが難しい人もいます。また、自分が被害者だと知らない人もいます。国は、一部ながら当時の記録を保持していて、手術の対象となった人を知っているのに、その人たちに補償を積極的にしようとしていません。都道府県単位では被害者への個別通知を実施しているところもあります。国はこのような態度を見習い、十分にプライバシーに配慮するのは当然として、個別通知を行うべきです。

 

・一時金支給の対象が限定されていること

優生保護法が障害者差別だったという周知や啓発が行われなかったため、1996年に優生保護法がなくなった後も、障害を理由とした不妊⼿術や中絶、放射線照射や⼦宮摘出が行われていたおそれがあります。このような被害者にも補償を行えるように手術された期間の限定を外すべきです。また、優⽣保護法第14条1項1,2,3号に基づく優⽣上の理由による⼈⼯妊娠中絶の被害者も謝罪、補償としての一時金支給の対象とすべきです。

 

・一時金が僅か320万円であること

→被害の大きさや、被害者の受けた心や体の苦痛を鑑みると、低すぎる金額です。日本における交通事故の賠償の基準では、子どもをつくれなくなった場合の賠償は1000万円です。故意の場合は3割増が可能とされ、被害の放置なども増額の理由となります。それと比べると、やはり、320万円は人権侵害の大きさに対して低すぎる金額と言えます。これでは、政府は被害者に対する人権侵害を軽く見ているといわれてしまいます。

 

 現在の一時金支給法には上に述べたような多くの問題があります。これでは被害者に対して十分な補償はできません。2019年9月末時点で一時金の支給が認められたのはたったの138人です。このままでは多くの人が補償を受けることができないままになってしまいます。国が本当に誠意をもって被害者と向き合うならば、被害者が納得できるような法律に直すべきです。手術された人は年を取ってきているので急がなければなりません。

一時金支給法の第21条で「調査その他の措置を講ずる」として、優生手術について調査を義務付けたことは、同じ間違いを繰り返さないためにとても大切なことです。しかし、2018年に行政、各医療機関福祉施設などに対して行われた調査は、とても不十分な内容でした。一時金支給法の下でこのような不十分な調査を追認することにならないようにすべきです。しっかりと調べるだけでなく、あやまちをくりかえさないために、資料を集めて保存する必要があります。国や都道府県の資料はもちろん、できれば個人や医療機関福祉施設などがもっている記録なども大切に保存できるとよいと思います。

2019年5月28日の仙台地方裁判所の判決について

このページでは、2019年5月28日に仙台地方裁判所で全国で最初に下された強制不妊訴訟の判決についてみていきます。

 

〇旧優生保護法の裁判までの経緯

 1996年の旧優生保護法廃止後、「優生手術に対する謝罪を求める会」が国に調査と検証(なぜ被害が起きたのかを明らかにすること)、謝罪(被害者にきちんと謝ること)と補償(謝る気持ちを表すためにお金を払うこと)を求めてきました。しかし、国は当時の手術は合法的に行われたとして、調査も検証も謝罪も補償も行いませんでした。

 「優生手術に対する謝罪を求める会」が電話相談をはじめると、宮城県の飯塚淳子さん(仮名)が1963年、16才のとき何も知らされずに子どもができなくなる手術をうけさせられたと連絡しました。2015年6月、飯塚さんは日本弁護士連合会に「わたしの人権をとりもどしてほしい」とうったえます。これをうけ、2017年2月に日弁連が、優生保護法のもとでおこなわれた手術などへの補償などをもとめる意見(※)を発表しました。

 これをニュースで知った宮城県の佐藤由美さんと義理のお姉さんの路子さん(ともに仮名)が宮城県にはたらきかけると、由美さんが15才のときに子どもができなくなる手術をした記録がみつかったのです。由美さんは国を相手に裁判をする決意をかため、新聞やテレビでいっせいに報道されました。優生保護法母体保護法に改正されてから22年が経ち、ようやく社会がこの問題に注目するようになったのです。

 現在、全国9地裁で20人の被害者が国を相手に裁判に立ち上がっています。

 

 

〇裁判の判決

 宮城県の原告の飯塚淳子さんと佐藤由美さんは、国や厚生労働大臣の違法行為(=法律に違反する悪いこと)により損害を受けたことを理由として、損害賠償金の支払いを求めていました。国の違法行為とは、具体的には次のようなものです。

 

①優生手術を受けさせられたことによる被害を回復するための法律を作らなかったこと(*1)

②旧優生保護法によって優生手術をさせていたこと(*2)

 

2019年5月28日、飯塚淳子さんと佐藤由美さんの裁判の判決が出ました。しかし、判決のではこれらの請求はいずれも棄却されてしまいました。つまり、原告の二人に対して損害賠償金を払わなくてよいという判決を出したのです。判決が言っていたことは次のようなことです。(判決の要旨は下に乗せています。)

 

①旧優生保護法違憲(=憲法に違反している)。

 「子を産み育てるかどうかを意思決定する権利は、これを希望する者にとって幸福の源泉となり得る」ことからすれば「人格的生存の根源に関わる」とし、リプロダクティブ権は憲法13条の「人格権の一内容を構成する権利として尊重されるべき」と判断されました。

 そして旧優生保護法は「個人の尊厳を踏みにじる」ものであり、「何人にとっても、リプロダクティブ権を奪うことが許されない」のは言うまでもなく「本件規定に合理性があるというのは困難である」とし、憲法13条に違反するとしました。

憲法13条のリプロダクティブ権(*6)侵害と憲法14条の平等権侵害が原告からは主張されていましたが、判決で検討されていたのはリプロダクティブ権についてのみでした。

 

②被害を回復する法律を作ることは必要不可欠であったが、必要不可欠だということが国会にとって「明白」ではなかったから、国に責任はない。

 旧優生保護法が存在していたこと、優生思想が存在していたこと、リプロダクティブ権をめぐる法的議論の蓄積が少なく司法判断も少なかったことから、「本件優生手術を受けた者が、本件優生手術の時から20年経過する前にリプロダクティブ権侵害に基づく損害賠償請求権を行使することは、現実的に困難であった」とされ、被害回復を図る法律を作る必要不可欠性は認められました。

しかし、日本においては「リプロダクティブ権をめぐる法的議論の蓄積が少なく(*7)本件規定及び本件立法不作為につき憲法違反の問題が生ずるとの司法判断が今までされてこなかった」ので被害回復の立法を行う必要不可欠性があることが国会にとっては明白ではなかったとの判断がされました。

 

③原告の二人が優生手術をされた日から20年がたってしまったので、損害賠償を求めることができない。

民法724条に定める除斥期間の規定は合憲であり、本件にも適用されるとの説明がなされました(*8)。

 

 

この判決に対して全国優生保護法被害弁護団は「不当判決」と判断し、以下のような声明を発表しています。

 

本日、仙台地方裁判所第2民事部は、原告らの請求を棄却するとの判決を言い渡した。この間、被害の重大性について社会的に大きく報道されるなどし、原告ら被害者は司法権による被害回復がなされるものと期待して本日を迎えたが、その期待が大きく裏切られる結果となり、憤りを抑えることができない。

この判決は、憲法13条の法意に照らし、人格権の一内容としてリプロダクティブ権が尊重されることを明らかにし、旧優生保護法が個人の尊厳を踏みにじるものであって憲法13条に違反することを初めて認めた。これは誰もがひとしく個人として尊重され生殖に関して国の干渉を許さないことを明示したものであり、この点については一定の評価が可能である。

しかし、判決は、特別立法の必要性が極めて高いとしつつ、立法内容については国会の合理的裁量に委ねられている事項であること、リプロダクティブ権をめぐる法的議論の蓄積が少ないことや現在まで司法判断もなされていないこと等を理由に、立法措置をとることが国会にとって明白ということは困難であるとして、立法不作為については国賠法上の違法は認められないと判断した。

また、除斥期間の規定は目的の正当性並びに合理性、必要性が認められるとして憲法17条に違反しないとし、手術自体の違法性に基づく国家賠償請求も認めなかった。

先般成立した優生保護法一時金支給法が被害回復には極めて不十分であることを考えても、人権救済の最後の砦である司法府が国の責任を認めなければ、原告ら被害者の今後の被害回復は困難であり、裁判所に対する信頼は失墜したと言わざるを得ない。

我々は、原告ら被害者の被害救済のため、今後も全力を挙げて戦い抜くことを表明する。

 

原告の方々も以下のように発言されています。

 

飯塚淳子さん(仮名、原告)

「裁判では、優生手術によって人生を狂わされた辛い思いを訴えました。裁判所が被害者を救ってくれると信じていたが、5月28日の判決は「不当判決」でした。」「憲法違反であると言いながら賠償責任を認めないことには、納得できません。」「憲法違反だと認められたのだから、国は私たち被害者に誠意をもって謝罪してほしいと思います。」

 

佐藤由美さん(仮名、原告)の義姉・佐藤路子さん(仮名)

「国会で、性と生殖に関する権利についての法的議論の蓄積がなかったので、立法措置をしないことの違憲性に関する司法の判断もなかったことが理由です。これは国会議員の責任で、議論が少なかったのではなく、議論に上がっても議論せずに無視し続けたのではなかったのではないでしょうか。飯塚さんと「優生手術に対する謝罪を求める会」は旧厚生省・厚労省と面談しています。また、国は、国連から過去3度も補償の勧告を受けています。国会議員の関心の無さが、今回の裁判に影響したということは、私たち原告にとっては理不尽だということに尽きます。」

 

*1 より正確には以下の3つの根拠による請求:(a)憲法17条に基づく損害賠償請求権を行使するための国会の立法の不作為を理由とする国家賠償請求、(b)憲法13条等に基づく補償請求権を行使するための国家の立法の不作為を理由とする国家賠償請求、(c)厚生労働大臣が旧優生保護法改廃後、被害者の被害救済のための措置を講じるべきだったのにそれを怠った政策遂行上の不作為を理由とする国家賠償請求。

*2 より正確には厚生大臣違憲違法な優生手術の実施を阻止する義務に違反したことに基づく国家賠償請求。

*3 より正確には以下の通り:①絶対的立法不作為に関する、国家賠償法1条1項の違法性の判断基準については、平成17条判決後段基準(*4)を用いる。②リプロダクティブ権が憲法13条の法意に照らし人格権の一内容を構成する権利であるとし、旧優生保護法の各優生条項はこれに反し違憲である(憲法適合性)。③立法不作為及び厚生労働大臣の政策遂行上の不作為は国家賠償法上違法ではない。平成17年判決後段基準のうち、立法が必要不可欠であることは認めるが、それが明白であったとはいえないためである(*5)。

*4 平成17年判決とはいわゆる在外投票制度違憲判決である。この判決における基準は前段部分の相対的立法の不作為(=ある法律の規定が存在し、それが違憲であるのに、これを改廃しない場合)と後段部分の絶対的立法の不作為(=憲法上必要とされる立法がそもそもない場合)に分けて論じられると理解される。原告らは国会と厚生労働大臣の絶対的不作為の国賠法上の違法性を訴えていた。

*5 平成17年判決の後段基準から導かれる要件事実は以下の4つ:(a)原告が憲法上保障されている権利を有している事実、(b)(a)の権利行使の機会を確保するために所要の立法措置を執ることが必要不可欠である事実、(c)(b)が明白である事実、(d)国会が正当な理由なく長期にわたって立法措置を怠った事実。

*6 リプロダクティブ権は、「もともと産む・産まないの自己決定を主張する女性運動から生まれたもので、人口抑制のために危険な方法による避妊や中絶、不妊手術を強いられているアジア・アフリカの女性を支援し、そうした状況をもたらした国連人口政策に反対する80年代のフェミニストの国連的運動を通じて」、広まった概念。(松原2000)

*7 1996年に旧優生保護法母体保護法に改正された際の付帯決議として以下のようなもの文言がある「この法律の改正を機会に、国連の国際人口・開発会議で採択された行動計画及び第4回世界女性会議で採択された行動綱領を踏まえ、リプロダクティブ・ヘルス/ライツ(性と生殖に関する健康・権利)の観点から、女性の健康等に関わる施策に総合的な検討を加え、適切な措置を講じること」。ちなみに1996年の法律の改正時においてすでに被害者の98%は除斥期間の適用により国家賠償請求することが不可能であった。

*8 本件において原告側は、除斥期間の規定を優生手術の被害者の類型に適用することを違憲とする適用違憲を主張していた。これに対しては立法の必要不可欠性が認められ、除斥期間の規定が合憲であるという理由から認められなかった。原告側の主張する適用違憲の手法を利用するのかについての明確な判断は判決の中でされていない。

 

【参考文献】

米本昌平等『優生学と人間社会』(講談社現代新書、2000年) 

優生手術に対する謝罪を求める会『優生保護法が犯した罪: 子どもをもつことを奪われた人々の証言』 (現代書館、2003年)

新里宏二「不妊手術強制 万感の怒りをこめた提訴」『世界2018年1月号』(岩波書店2018)

三浦じゅん「仙台地裁令和元年5月28日の評価と控訴審における今後の展開」『法学セミナー』2019年8月号pp.28-36

「当事者・支援者の声」『法学セミナー』2019年8月号pp.25-27

優生保護法とは何か?

このページでは、そもそも優生保護法とは何なのか。なぜそのような法律が制定され、1996年まで維持されてきたのかについてみていきます。

 

優生保護法とは?

優生保護法は、1948年、第二次世界大戦後の日本で作られ、1996年(20年ほど前)に母体保護法に変わるまで続いた法律です。

第一条には、「この法律は、優生上の見地から不良な子孫の出生を防止するとともに、母性の生命健康を保護することを目的とする」と書かれています。この条文には2つの目的が表象されており、「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する」ことと「母性の生命健康を保護すること」です。

前半の目的は、人間の命を生まれてくるべきものと生まれてくるべきでないものとに区別する優生思想に基づいています。この法律によって、障害や遺伝する病気をもつ人などに、子どもをつくることをできなくする手術(不妊手術)やおなかの胎児が生まれなくなる手術(妊娠中絶)を受けさせることが認められていたのです。

人間の命を生まれてくるべきものと生まれてくるべきでないものとに区別する優生思想に基づいています。この法律によって、障害や遺伝する病気をもつ人などに、子どもをつくることをできなくする手術(不妊手術)やおなかの胎児が生まれなくなる手術(妊娠中絶)を受けさせることが認められていたのです。

第二章では「優生手術」、第三章では「母性保護」として、手術の対象者が以下のように定められていました。それぞれ、第一号から第三号までが「優生上の」理由です。

 

第二章 優生手術

第三条【 医師の認定による優生手術 】

第一項 医師は、左の各号の一に該当する者に対して、本人の同意並びに配偶者(届出をしないが事実上婚姻関係と同様な事情にある者を含む。以下同じ。)があるときはその同意を得て、優生手術を行うことができる。但し、未成年者、精神病者又は精神薄弱者については、この限りでない。

 

第一号 本人若しくは配偶者が遺伝性精神病質、遺伝性身体疾患若しくは遺伝性奇形を有し、又は配偶者が精神病若しくは精神薄弱を有しているもの

 

第二号 本人又は配偶者の四親等以内の血族関係にある者が、遺伝性精神病、遺伝性精神薄弱、遺伝性精神病質、遺伝性身体疾患又は遺伝性畸形を有しているもの

 

第三号 本人又は配偶者が、癩疾患に罹り、且つ子孫にこれが伝染する虞れのあるもの

 

第四号 妊娠又は分娩が、母体の生命に危険を及ぼす虞れのあるもの

 

第五号 現に数人の子を有し、且つ、分娩ごとに、母体の健康度を著しく低下す る虞れのあるもの

 

第四条【審査を要件とする優生手術の申請】

医師は、診断の結果、別表に掲げる疾患に罹つていることを確認した場合において、その者に対し、その疾患の遺伝を防止するため優生手術を行うことが公益上必要であると認めるときは、都道府県優生保護審査会に優生手術を行うことの適否に関する審査を申請しなければならない。

 

第十二条【精神病者等に対する優生手術】

医師は、別表第一号又は第二号に掲げる遺伝性のもの以外の精神病又は精神薄弱に罹つている者について、精神保健法(昭和二十五年法律百二十三号)第二十条(後見人、配偶者、親権を行う者又は扶養義務者が保護義務者となる場合)又は同法第二十一条(市町村長が保護義務者となる場合)に規定する保護義務者の同意があつた場合には、都道府県優生保護審査会に優生手術を行うことの適否に関する審査を申請することができる。

 

十三条

第一項 都道府県優生保護審査会は、前条の規定による申請を受けたときは、本人  が同条に規定する精神病又は精神薄弱に罹つているかどうか及び優生手術を行うことが本人保護のために必要であるかどうかを審査の上、優生手術を行うことの適否を決定して、その結果を、申請者及び前条の同意者に通知する。

 

第二項 医師は、前項の規定により優生手術を行うことが適当である旨の決定があつたときは、優生手術を行うことができる。

 

第三章 母性保護

第十四条【 医師の認定による人工妊娠中絶 】

第一項 都道府県の区域を単位として設立された社団法人たる医師会の指定する医師(以下「指定医師」という。)は、次の各号の一に該当する者に対して、本人及び配偶者の同意を得て、人工妊娠中絶を行うことができる。

 

第一号 本人又は配偶者が精神病、精神薄弱、精神病質、遺伝性身体疾患又は遺伝性奇形を有しているもの

 

第二号 本人又は配偶者の四親等以内の血族関係にある者が遺伝性精神病、遺伝性精神薄弱、遺伝性精神病質、遺伝性身体疾患又は遺伝性奇形を有しているもの

 

第三号 本人又は配偶者が癩疾患に罹つているもの

 

第四号 妊娠の継続又は分娩が身体的又は経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのあるもの

 

第五号 暴行若しくは脅迫によつて又は抵抗若しくは拒絶することができない間に姦淫されて妊娠したもの

 

優生保護法の背景-なぜこのような法律がつくられたのか

「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する」という優生保護法の目的は、「優生思想」に基づいています。優生思想は、人間の命を生まれてくるべきものと生まれてくるべきでないものとに区別する差別思想です。障害の有無に限らず、人の存在を、働くことができるかどうか、どんな性的指向をもつかなど、何らかの基準に基づいて「優れている」ものと「劣っている」ものに分けることに通じる考え方であると言えます。

優生思想の起源は、イギリスの遺伝学者、フランシス・ゴルドンが定義した「優生学」です。「優生学」は、「劣悪者」の人口に占める割合が増加すると人口の質が低下し、「民族の変質」を招く「逆淘汰」を引き起こすという考えに基づき、「劣悪者」を淘汰することで人口を改良することを目的とする学問でした。国を強くするためには強い人や優れた人だけが重要で、障害や遺伝する病気のある人などはいないほうがよいと考えるのです。

優生学は19世紀の終わりから20世紀はじめにかけて、アメリカやヨーロッパなどで広がり、アメリカ、スウェーデン、ドイツでは日本よりも早くに断種法が制定されました。

 

 ・アメリカ 1907年~1960年代

1907年に、世界初の断種(子どもができなくなる手術)のための法律が、アメリカのインディアナ州で制定された。1923年までには、32州に広がっていた。

 

スウェーデン 1934年~1975年

スウェーデン不妊法(断種法と同じ意味)が制定され、1941年に改正されて、1975年まで続く。正式名称は、「特定の精神病患者、知的障害者、その他の精神的無能力者の不妊化に関する法律」。

 

・ドイツ 1933年~2007年

ナチスヒトラー政権のもと「遺伝性疾患子孫予防法(断種法)」が制定された。レジュメ4-1ドイツの敗戦とともに効力を失った。

 

日本でも、第二次世界大戦中の1940年に「国民優生法」が制定され、「国民素質の向上を期する」ため、遺伝する病気をもつ人に対する不妊手術を行うと定められました。しかし当時は戦争をするのに人手が必要で「産めよ増やせよ」の時代だったため、実際に行われた手術は538件にとどまり、同意のない手術は0件であったとされています。

ところが、1945年に第2次世界大戦が終わると、人口が急増して食料が不足しました。そこで、国は、今度は生まれる子どもの数を抑制し人口を減らそうとしました。戦時中に厳しく取り締まっていた避妊の普及や中絶(いわゆる産児調整)を個人の自由として容認しました。しかし、産児調整の普及は「逆淘汰*」をもたらすとされ、それを許すからには優生政策を強化するしかないという流れで優生保護法は制定され、手術が推進されました。

1951年には遺伝性以外の精神病等も追加されるなど優生規定が強化されました。つまるところ、優生保護法は、国の力としての人口の数をコントロールし、また人口の資質を高めようとして、人々が子どもをつくることを国が管理する「人口政策」を担うものでした。

*逆淘汰とは「「優秀者」の比率が減少すると人口の質が低下して「民族の変質」を招く」という現象のことです(松原2000)。

生活にゆとりのある「優良健全」な階層における子供の産み控え、「劣悪者」の高出生率と医療・福祉の発達による死亡率低下、戦争によって壮健な青年の多くが命を落とす結果「優良健全」な者の子孫が減ることが、その原因と見なされました。

人間を「優良健全」な者と「劣悪者」に分ける極めて差別的な概念です。

 

〇国の主導、地方の協働、民間の共同で推進された優生手術

 優生手術は国の主導、地方の協働、民間の共同で全国で行われて行きます。1957年には旧厚生省が「各都道府県衛生主管部(局)長」宛ての文書で、手術件数の少ない県を暗に批判した上で、手術実施に伴う費用が国の予算を下回っていることを理由に、各都道府県に件数を増やすように求めていました。この通知を受け、宮城県等の10県以上の都道府県は、年間の手術目標を示すなどして、1957~58年にかけて手術件数を増加させています。

 また、旧厚生省は1972年には公衆衛生局長名の都道府県知事宛て「通知」で、本人の同意がない事案で、都道府県優生保護審査会による手術容認の決定が確定した場合に、「本人が拒否しても手術を強行できる」、「不良な子孫の出生防止」という公益上の目的があるため「憲法の精神に背くものではない」との解釈、見解を示し、優生手術の合憲性を広めていました。

 さらに、手術の具体的な方法についても国は通知を出しています。1953年の厚生事務次官通知では「真にやむを得ない限度において身体拘束、麻酔薬施行または欺罔等の手段をもちいることは許される場合もある」としました。また、禁止されていた「不妊のためのレントゲン照射」について、旧厚生省は学術研究目的なら「差し支えない」と、京都大学医学部からの問い合わせについて回答しています。

 これらの通知が見えてくるのは、通知などを通して国が優生手術を推進していたことです。しかし、見逃せないのは地方の協働です。北海道では、道内の医師に対して、優生手術の申請は「医師の義務」として申請を促す指針を配布していました。障害者施設と共同し、優生手術を障害者に優生手術を強制している事例も存在していました。また私たちが住む宮城県でも地方の協働は見られました。

 

宮城県の地域ぐるみの推進体制「愛の十万人運動」

 宮城県では優生思想の普及を掲げた「愛の十万人運動」が行われました。教職員組合、PTA、地域婦人会、社会福祉協議会、公民館、医師会、肢体不自由児協会などの多くの民間団体が参加しており、文字通り地域ぐるみで進められました。

 この運動の始まりは知的障害児施設と養護学校の整備を目指した運動でしたが、次第に優生政策にからみとられていきます。その背景には、知的障害児やその家族が不幸な存在であると一面的に把握していたことがあります。

 当時の知的障害児の親たちは「軽いものには社会自立、重いものには温かい保護、親なき後の保障」を求めていました。しかし「県民運動」は「受胎調整や家族計画の思想が普及して、県の人口はだんだん増加の速度を落としております。それなのに精薄の家庭は全然減っていません。悪貨が良貨を駆逐しておるのです。このまま過ぎていったら宮城県民の質はだんだん低下していくでしょう」、優生手術について「宮城県百年の大計として民族の再建を考えるなら、どうしてもやらなければならない仕事です」と当運動の趣意書に記載しています。

 「障害者はかわいそうだから、今生きている障害者の福祉は求めるが、障害者が増えると県民の質が下がってしまうから、優生手術は推進する」という、差別意識に満ちた運動でした。先に北海道の事例も見ましたが、このような障害者に対する優生政策は特定の地域的に行われた特殊なものではなく、国の政策にリンクしたものであったと言えます。

 

〇経済成長、福祉拡充の裏で進められた優生手術

 終戦直後には経済と産業が壊滅状態で」あった日本は、1950年代半ばから高度経済成長期に突入し、1964年には「先進国クラブと呼ばれるOECD加盟を果たしました。その背景には優生政策が存在していました。

 1960年に池田内閣は「所得倍増計画」にて経済成長の推進力として人的能力の開発と人口資質向上を重視することを決定し、1962年には「国民の遺伝素質の向上」を唱えた厚生省人口問題審議会「人口資質向上対策に関する決議」が作られました。この決議の中では「人口構成において、欠陥者の比率を減らし、優秀者の比率を増すように配慮することは、国民の総合的能力向上のための基本的要請である」とし、優生政策の必要性が公然と語られました。

 また高度成長期は、福祉の不足に目が当てられ始めた時代でもありました。1956年の「厚生白書」では経済的復興から取り残された人々の存在を立証し、経済偏向から社会福祉の充実を忘却してはならないと説かれました。

 この流れの中で障害者福祉の拡充も進みましたが、「障害者は財政を圧迫するから、福祉コスト削減のために障害児の発生を防止すべきだ」という声も同時に上がりました。1968年の母子保健対策懇話会の意見書では「不幸な児子をもつ家庭の悲劇と、経済的負担の解消」「年々支出されている巨額な国費、地方公共団体の財政負担は大いに軽減するのみならず、生産人口もより多く確保されるなど、そのもたらす成果は非常に大なるものがある」とし、福祉コストの削減を優生手術によって達成しようとしていました。

 

〇被害の実態

 優生保護法のもとで手術を受けた被害者の方々は、国から「劣っている」「弱い」と決めつけられ、心と体を傷つけられました。子どもをもつかもたないかを自分で決める権利(リプロダクティブ・ヘルス/ライツ)(性と生殖に関する健康/権利)を奪われました。この権利は、日本国憲法第13条で保障されている幸福を追求する権利としての自己決定権です。個人の基本的人権を奪うという行為を、国が推進していたのです。

 また、この国による行為は、以下のように定める障害者権利条約の第17条にも反しています。

 

障害者の権利に関する条約

第十七条 個人をそのままの状態で保護すること

 全ての障害者は、他の者との平等を基礎として、その心身がそのままの状態で尊重される権利を有する。

 

このようなことが認められること自体が問題であるうえに、手術への同意を強いられて手術を受けた、同意のないままにむりやり手術されたという人もたくさんいます。本人が同意した場合でも、病院や施設の職員、家族や親せきなどから言われて、何もわからないままに手術をされた人もいます。また、同意というものがあったとしても優生思想のはびこる社会に強いられた同意だったのではないかという意味で、優生保護法の下で行われた手術は「強制不妊手術」と呼ばれています。また、月経中の介護の負担を減らすために障害をもった女性に対して子宮を取り除くという手術や放射線の照射という、法律に規定のない施術も行われていました。ハンセン病や貧困も手術の理由とされたことも見逃せない点です。

被害者の数は以下のとおりですが、実際にはもっと多いのではないかといわれています。

 都道府県別の件数では、北海道2593人、宮城県1406人、岡山県845人の順で多くなっています。被害者の約7割は女性です。

強制不妊手術:本人の同意なし 16,475人

強制不妊手術:本人の同意あり 8,518人

妊娠中絶:58,972人

合計:83,965人

(2018年5月24日厚労省提出資料)

 

〇被害者の声

・2018年12月12日、大阪での裁判で原告の女性は「手術はいたかった。今も傷が残っている。お父さん(ご主人)からあとつぎがほしいと言われ、産みたかったが産めなかった。もとのからだにもどしてほしい」とうったえました。

・飯塚淳子さん(仮名)「私は何も知らされないまま、子どもを産めないようにする「優生手術」を無理やり受けさせられました。役所や民生委員や職親が手術を受けるように仕向けて行ったのです。父親は「ちょっと待ってくれ」と言ったそうですが、「今すぐに手術を受けなければだめだ」と強引に言われて、それで仕方なく、手術に同意する書類にハンコを推させられたんだそうです。そんなこと、絶対に許すことができないー今の私はそんな気持ちでいっぱいです。」「どうして私が強制的に「優生手術」を受けさせられたのか、それが知りたくて、ここ何年か、私は何度も役所に足を運んで、当時の書類や記録を見せてくれと言ってきました。しかし、私が手術を受けることになった「審査会」の記録は昭和三十三年と三十六年の分しかなくて、私が受けたころの記録はない、と言われて、見せてもらっていません。それ以外の私が見ることができた書類や記録は、黒く塗りつぶされたところばかりで、ところどころ読めるところには、私には嘘としか思えないことばかり書いてある。私の言い分をちゃんと聞いてほしいと思います。そして、書類や記録をちゃんと書き直してほしいと思います。そして、私の身体をもとに返してほしい。できることなら、十代の頃の身体にもどりたい。本当にそう思います。(優生手術に対する謝罪を求める会2018)

 

優生保護法廃止までの経緯ーなぜ48年間も続いたのか

 優生保護法のもとで、優生思想は日本の社会に深く入りこみ、障害は不幸なものだという考え方が広がっていました。その中で被害者が声を上げることはとても難しいことでした。優生保護法は1996年に母体保護法に改正されますが、それまでには色々な団体の運動がありました。その中で「優生」はタブー化していきます。

 1972年に優生保護法の改悪案が国会で話し合われました。具体的には中絶対象から「経済的理由」を削除することと、胎児が重度の精神的または身体の障害の原因となる疾病、欠損を有しているおそれがある場合に中絶が認められるとする胎児条項の導入することです。

 胎児条項に対しては、脳性マヒの障害者団体である「青い芝の会」のメンバーが猛反対の運動を展開しました。当時「青い芝の会」はさまざまな形で優生思想に反対する運動を展開していました。例えば、1970年5月に横浜市で起きた重度障害児殺害事件で、世間が殺した側に同情的であることに対し、「障害者は殺されて当然なのか」、「親をそこまで追い詰めたのは、障害児を白眼視する地域社会ではなかったか」と反対運動を展開しました。

 「青い芝の会」はその批判の矛先を、産む・産まないの自由を唱えて中絶の既得権を守ろうとする女性解放運動にも向けました。中絶の自由をめぐり、彼らは激しく論争し、ウーマンリブの活動家たちの多くは優生思想批判を共有し、優生保護法改正案から胎児条項を削除させるために障害者との共闘をしていきます。

 このような運動の結果、社会には「優生」の考え方に対する批判意識が生み出されました。国連からの非難も受け、1996年にやっと優生保護法は廃止されました。

 しかし、優生手術の被害者への保障や、手術の実態調査などは行われてきませんでした。優生保護法改正後の運動については「5.28判決について」のページをご参照ください。

 

【参考文献】

米本昌平等『優生学と人間社会』(講談社現代新書、2000年) 

優生手術に対する謝罪を求める会『優生保護法が犯した罪: 子どもをもつことを奪われた人々の証言』 (現代書館、2003年)

利光惠子、松原洋子(監修)『戦後日本における 女性障害者への強制的な不妊手術』(立命館大学生存学研究センター、2016年)

毎日新聞取材班『強制不妊 旧優生保護法を問う』(毎日新聞出版、2019年)

清水貞夫『障害者の「安楽殺」と優生思想』(クリエイツかもがわ、2018年)

私たち(強制不妊訴訟不当判決にともに立ち向かうプロジェクト)について

 2019年5月28日に旧優生保護法の下で行われた強制不妊手術の被害者が国に損害賠償を求める裁判の判決が行われました。裁判中にできた一時金支給法も十分なものではないこと、優生保護法が現行の母体保護法に改正された1996年から20年以上も被害者が放置されてきていること、裁判が全国に広まってある程度世論に関心が広がっていたことから、裁判では原告の請求は認められると思われました。しかし、裁判所は判決で旧法の規定は違憲であるとしつつも、被害者の請求はすべて棄却されました。

 以前から裁判傍聴などの形でこの裁判に関わってきていた「学問と社会をつなぐサロン」のメンバーはその判決に疑問と怒りを隠すことができませんでした。そして国には謝罪と責任を求め、裁判所には公正な判断を求める行動を起こす必要性を感じ、このプロジェクトを立ち上げました。(現在は東北大学東北福祉大学の学部生を中心に17名で活動しています。)

 このプロジェクトでは、優生保護法の問題を学内や社会に周知させることや、署名などによる裁判支援を行っています。

↓署名用紙は以下からダウンロードできます。署名用紙の取り扱いなどについては「署名ご協力のお願い」(PDFテキスト版)をご参照ください。

・仙台高裁宛て(PDFテキスト版

・国宛て(PDFテキスト版

↓オンライン署名(2種類)も行っています。こちらの拡散にもご協力ください。

www.change.org

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*「学問と社会をつなぐサロン」は世界や日本に広がっている様々な社会問題について自分たちで勉強し、考え、そこで得た知識を社会に還元することをめざす、東北大学の学友会公認の自主ゼミサークルです。既存の立場や学問領域にとどまらない幅広い視点から、“深く” 社会問題の根本原因や解決の方法を考えます。